何もできないことを受け入れる:講演会「死ぬこと、生きること、働くこと」

ご無沙汰しています。向日恒喜です。ブログの更新が滞っている間に気が付くともう、2月。今年初めての投稿になります。遅ればせながら、今回は私の今年の抱負もかねて、昨年12月に開催された講演会の紹介記事を書かせていただきます。

本学の企業研究所主催で、死生学を専門とされている藤井美和先生(関西学院大学人間福祉学部教授)をお招きし、「死ぬこと、生きること、働くこと:死を見つめることを通して働くことを考える」とのタイトルでのオンライン講演会が12月14日に開催されました。藤井先生は『死生学とQOL』という著書を執筆されていますが、今回はその著書の内容をベースに講演いただきました。

以下に講演の概要を紹介いたします。

死ぬこと、生きること、働くこと(講演概要)

スピリチュアル・ペイン

死に直面したときに、人間には身体の痛み、精神の痛みとともに、何のために生きるのか、自分は生きていていいのかといった、根源的な痛みであるスピリチュアル・ペイン(魂の痛み)が生じます。

このスピリチュアルの領域(スピリチュアリティ)は、意味と関係性がキーワードとなります。意味とは、自分の存在や生きることの意味を、関係性とは意味を見出す際に必要となる人間同士の関係性や人間を超えるものとの関係性を指します。そして、このような領域での痛みは、死に直面している状況だけではなく、学校や職場などでも生じることがあります。たとえば定年を前にした人は、職場という居場所がなくなる中で、スピリチュアル・ペインが生じます。このようにスピリチュアル・ペインは、通常は顕在化していなくても誰にでも生じうるものなのです。

寄り添い

このスピリチュアル・ペインは、科学的な介入や、客観的な答えを提示することで解決するものではありません。痛みを感じるその人が自らがそこに意味を見出していくことが必要です。では、そのような主観的痛みに対して周りの人は何もできないのでしょうか。ここで「寄り添い」が重要になります。

寄り添いとは、相手に何かをしてあげようとするのではなく、相手をありのままに認め、ただ傍らにいることです。そしてこの寄り添いには、寄り添おうとする人が問われることになります。1つは、「あなたは目の前の人をありのままに受け入れられるか」ということが問われます。もう1つは、「あなたの限界を認めることができるか」ということ、つまり目の前の人を受け入れることができない、そしてその人のために何もできないということを認めることができるかを問われます。

ゆだねること

私たちは、生きることにおいて、また寄り添うことについて限界に直面したときに、この限界をゆだねるということが大切になってきます。限界に直面し、その先が見えなくなったときに、物質的・合理的なメガネ(科学や合理性で物事を解決しようとする姿勢や、具体的な結果を出すことを重視する姿勢)を取り外すことで、その先が見えるようになります。そして、その限界をどこへどのようにゆだねていくかが、私たちにとって重要な課題となります。

何もできないことを受け入れることで見えてくるもの

以上、講演会の概要でしたが、このような死を通して見えてくることから私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

ビジネスの現場では、利益を上げることが求められるため、利益のために何かができるということが重視されます。そのために私たちは、組織の中で何もできないと感じるときに痛みを感じ、そして痛みを感じることを避けるために、頑張ろうとします。また、何もできていないと感じている人に対しては、その人が何かできるようにしなければと思い、何かができるように働きかけようとします。このことが、確かに自分や他者を成長させることにつながることもありますが、その一方で、自分や他者に必要以上の背伸びを強いてしまうこともあります。

私たちは、特定の領域において、そこでの成功に囚われ過ぎたときに、他の領域のでの可能性が見えなくなり、自分にそして他者に必要以上に負荷をかけてしまうのかもしれません。特定の領域で限界を受け入れることができたときに、私たちは他の領域に目を向け、そこでできることを模索していくことができるのではないでしょうか。職場で同僚や部下が、そして自分が限界に直面しているときに「できなくてもいいんだよ」と声をかけてあげることで、それぞれの新しい可能性が広がっていくのかもしれません。

2021年、すでに1か月が過ぎてしまいましたが、今年は職場での「寄り添い」について考えていきたいと思っています。

(向日恒喜)

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