内発的動機は理想論か?

こんにちは、向日恒喜です。

先週、オランダで開催された7th International Self-Determination Theory Conferenceという、内発的動機に関する理論の国際会議に参加し、研究報告をしてきました。会議の様子は別の機会に紹介したいと思いますが、この機会に、内発的動機に関して考えていたことを少し書いてみようと思います。

現実は甘くない?

私たちのゼミでは『モチベーション3.0』という本を通して、モチベーションについて学んでいます。この本では、興味関心に基づく内発的動機が、報酬に基づく外発的動機よりも個人や組織のパフォーマンスを高めると主張しています。就活でゼミ生がこの本の内容について話をすると、興味を持つ面接官がいる一方で、「それで上手くいくのか?」、「理想論ではないのか?」と疑問を呈す面接官もいます。果たして競争の激しい企業社会において、内発的動機によってパフォーマンスを高めるのは理想論にすぎないのでしょうか。

生活基盤の安定

この本で紹介されている内発的動機を支持する研究に目を向けると、教育の現場での実験や、少額の報酬をコントロールした実験など、生活基盤が安定した状況での研究が多くなっています。これに対して、企業内では、報酬が従業員の生活基盤に大きな影響を与えることから、従業員は報酬を意識せずに行動するのが難しい状況といえます。

つまり、生活基盤が安定していれば内発的動機によってパフォーマンスが上がるものの、生活基盤が安定していない状況では、内発的動機よりも外発的動機が機能するといえます。これは古くはマズローが提唱しアルダファが実証した、低次の欲求が満たされることで高次の欲求が現れるとの理論に通じます。この本の中でも、基本的な報酬の必要性については触れています。

厳しい環境に置かれている企業

このことを踏まえると、面接官が「内発的動機は理想論だ」という場合、2つの可能性が挙げられます。

1つ目は、その企業を取り巻く競争環境が厳しく、低次の欲求が満たされにくい状況に置かれている可能性です。このような企業は、素早く結果を出す必要があり、従業員の内発的動機を引き出すためにゆっくりと従業員を育てることができず、報酬やペナルティによって従業員を動かさざるを得ない状況にあるといえ、遅かれ早かれ厳しい競争によって淘汰されてしまうかもしれません。

昔のやり方に固執している企業

もう1つの可能性は、企業の置かれている環境は比較的、安定しているにも関わらず、かつての厳しい環境でのやり方に囚われているケースです。このような企業は昔のやり方に固執してしまい、従業員の自発的な行動を養う機会を逃してしまっているのです。このような企業もまた、従業員の内発的動機を引き出すことができないために、将来、淘汰されていくかもしれません。

なぜ昔のやり方に固執するのか

では、なぜ環境が変化しているにもかかわらず、昔のやり方に固執してしまう企業や従業員がいるのでしょうか。

その1つの理由に、これらの人々が、厳しい環境を外発的動機で乗り越えてきたとの誇りを持っていることが考えられます。これらの人々は、内発的動機に注目が集まることで、自分たちの労苦が忘れられることに寂しさを覚え、過去に築いた自分の居場所を守るために新しい働き方に抵抗しているのかもしれません。

これらの人々が内発的動機による新しい働き方に抵抗している様子は、自分たちの力によって手に入れたより人間らしい生き方ができる環境を捨てて、昔の非人間的な生き方に留まり続けようとしている状況であるともいえます。

先人が築いた基盤の上で

ただ、今、私たちが内発的動機に目を向けることができるようになったのは、外発的動機で働かざるを得なかった先人の労苦によって築かれた、安定した生活や経営の基盤があることを忘れてはいけないのではないでしょうか。外発的動機で働かざるを得なかった先人の労苦への敬意を払いつつ、その基盤の上に内発的動機に基づく社会を築き上げていくことで、外発的動機に囚われている人々も新しい社会で居場所を見つけることができ、その社会を受け入れることができるようになるのかもしれません。そうすることで内発的動機による人間的な働き方が理想論ではなく、より現実のものになっていくのかもしれません。

(向日 恒喜)

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